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岩手県医療局労働組合
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人体実験、組合弾圧の南光闘争(臨時職員の本採用問題から始まった)

◆1965年

南光支部団体交渉で、臨時脳波技師の本採用について「期限が来たら辞めてもらう」と病院長が回答

◆1966年

本採用を求め支部団体交渉。病院長は「辞めてもらう」の一点張り。2月25日の団体交渉で、公安警察、機動隊が待機
団体交渉で病院長を監禁した、とでっち上げ、告訴される
組合役員4人が不当逮捕
岩手公園で、不当弾圧に抗議する集会を1,000人で開催
読売新聞に「人体実験で患者死亡」の記事
*その後6年にわたり裁判闘争(62回の公判)へ

◆1972年

3月27日 全員無罪の判決(盛岡地裁一関支部)
集団交渉は、「団体交渉の実をあげる一手段として労働組合に認められる」

7月12日 医療局と和解の協約を締結

 当局の不当な攻撃には、素早く対応すること、大きな構えで広く仲間を組織して反撃すること、組織の中の団結を強化することが大事です。日頃から、不当弾圧でたたかっている全国の仲間との連帯も必要です。

 1965年、南光病院において、将来本採用にするとの約束で、臨時採用された脳波技師について、臨時期間の終了期限が近づいたにもかかわらず、 なんら通知がなく、支部の団体交渉で本採用に向けた交渉が行われました。 多くの組合員も自分のこととして交渉に参加。ところが、医療局はこの団体交渉で、 「田中院長を不当に監禁した」として告発。マスコミや県議会でも一斉に県医労を攻撃しました。警察は、組合事務所などを家宅捜査するとともに組合役員4人を不当にも逮捕。6年にも及ぶ裁判闘争が始まりました。団体交渉を前後して、「新薬実験?で患者死ぬ 岩手南光病院」という記事が読売新聞の全国版に掲載され、こうした事実を隠蔽するために、この弾圧事件が仕組まれたことが、裁判を

全員無罪の判決を受け、裁判所を出る組合員(1972年3月)

支援の輪を大きく広げ集会を開催(1972年3月)

通じて次第に明らかになりました。

 この患者死亡事件で、新日本医師会など中央医療4団体が調査に入り、国会議員も来県。衆議院社会労働委員会でも取り上げられ、 追及されました。こうしたことも織り交ぜながら、 裁判では組合の活動の正当性を主張。 公判の都度、裁判の傍聴席を組合の支援者で埋め尽くそうと、前日から裁判所の庭にテントを張り、泊まり込み、炊き出しなどが取り組まれました。支援共闘会議も結成され、多くの労働組合から応援を受けました。
 こうした公判も支援運動も大切にする原則的な取り組みで、 裁判では勝利し、岩手県地方労働委員会(地労委)を舞台とした「免職3人、停職3ケ月3人、 戒告37人」という行政処分・不当労働行為の審問でも、 和解勧告が出され、 労使双方が同意。最終的には、協約書を締結し、医療局長の謝罪文の提示、処分の撤回、不利益の完全補償をかちとりました。
 この裁判の判決の中で、 「交渉人員が多数であるというだけで、 ただちにその団体交渉が適法性を欠くものというべきでない」と判示し、 時としては集団交渉も団体交渉の一方法として正当な活動であることが確認されたこと、 さらに「違法な手続きによって押収された物を証拠とすることは許されない」という決定は、大きな成果であり、今に生きています。